2013年07月25日
小島博士との思い出(慰霊の旅)
日水コン中央研究所所長(当時)の小島貞男博士を
訪問したのは1993年2月のことだった。
ご多忙な博士の日程に合わせ研究所を訪問した。
ミャンマーへ贈る浄水機の指導をして欲しい旨を伝えると快く引き
受けて頂き、ミャンマーへ水質調査に行くことも承諾して頂いた。

カンナジョン寺院での慰霊法要 ミャンマー僧侶も一緒に法要
博士は現場重視のお考えをお持ちであられることと、
ミャンマーを訪問することの理由がもう一つあった。
それは、博士の戦友の方が大勢ミャンマーの地で戦死
されことに心を痛めておられた。
一度はミャンマーを訪問し今は亡き戦友の霊を慰めたい
という思いを持っておられた。

戦友会で建てられた慰霊塔 慰霊塔前での慰霊法要
ミャンマーには日本政府や、戦友会で建立された
慰霊塔がミャンマー各地に点在している。
今回の水質調査は、それらのパゴダや慰霊塔で、
大戦で亡くなられた方々の慰霊の旅でもあった。
訪問したのは1993年2月のことだった。
ご多忙な博士の日程に合わせ研究所を訪問した。
ミャンマーへ贈る浄水機の指導をして欲しい旨を伝えると快く引き
受けて頂き、ミャンマーへ水質調査に行くことも承諾して頂いた。


カンナジョン寺院での慰霊法要 ミャンマー僧侶も一緒に法要
博士は現場重視のお考えをお持ちであられることと、
ミャンマーを訪問することの理由がもう一つあった。
それは、博士の戦友の方が大勢ミャンマーの地で戦死
されことに心を痛めておられた。
一度はミャンマーを訪問し今は亡き戦友の霊を慰めたい
という思いを持っておられた。


戦友会で建てられた慰霊塔 慰霊塔前での慰霊法要
ミャンマーには日本政府や、戦友会で建立された
慰霊塔がミャンマー各地に点在している。
今回の水質調査は、それらのパゴダや慰霊塔で、
大戦で亡くなられた方々の慰霊の旅でもあった。
2013年07月24日
小島博士との思い出(祈りの国)
ミャンマーは90%が仏教徒の国である。
各地に信仰の象徴であるパコダが点在している。
各寺院で祈りをささげる人々と遭遇する。

祈りをささげる若い女性 家族連れで祈る
我々が最初に訪問したころは宗教的な争いもなかった。
我々を案内してくれる政府の役人も一般人も
パコダを見ると必ず両手を合わせ祈る。

瞑想する男性 祈るをささげる女性
寺院では多くのミャンマー人が祈りをささげたり、
瞑想する風景を見ることが出来る。
ミャンマーはまさに“祈りの国”である。
各地に信仰の象徴であるパコダが点在している。
各寺院で祈りをささげる人々と遭遇する。


祈りをささげる若い女性 家族連れで祈る
我々が最初に訪問したころは宗教的な争いもなかった。
我々を案内してくれる政府の役人も一般人も
パコダを見ると必ず両手を合わせ祈る。


瞑想する男性 祈るをささげる女性
寺院では多くのミャンマー人が祈りをささげたり、
瞑想する風景を見ることが出来る。
ミャンマーはまさに“祈りの国”である。
2013年07月23日
小島博士との思い出(水瓶)
ミャンマーは暑い国である。
人が通る道路端や、寺院などに水瓶が置いてある。
良く見かける風景である。

水瓶の水は誰でも自由に飲める
この水は誰でも自由に飲んで良い。
管理は置いてある家の家主や近くの住民の方がしている。
旅人を思いやる優しいミャンマー人の心づかいである。

市場では沢山の水瓶が売られている
水をあげることは功徳であるという仏教の教えでもある。
素焼きに近いこの水瓶は中の水が染み出るときに気化熱で
瓶の中の水を冷やしていると小島博士は教えてくれた。
先人たちの素晴らしい知恵に驚かされ瞬間であった。
人が通る道路端や、寺院などに水瓶が置いてある。
良く見かける風景である。

水瓶の水は誰でも自由に飲める
この水は誰でも自由に飲んで良い。
管理は置いてある家の家主や近くの住民の方がしている。
旅人を思いやる優しいミャンマー人の心づかいである。

市場では沢山の水瓶が売られている
水をあげることは功徳であるという仏教の教えでもある。
素焼きに近いこの水瓶は中の水が染み出るときに気化熱で
瓶の中の水を冷やしていると小島博士は教えてくれた。
先人たちの素晴らしい知恵に驚かされ瞬間であった。
2013年07月22日
小島博士との思い出(水質調査)
調査を重ねるうちに、中には非常に水質の
良い井戸水とも出会う事ができた。
その井戸は沼地の近くにあり水量も豊富である。

子供達も水汲みのお手伝い 人気の井戸
水質の良い水は人気があり多くの人達がその井戸水を汲みに来ていた。
井戸水も無限に湧き出るわけではないので決められた時間に
(夕方)天秤棒で水桶をかついで水を汲みに来ていた。

井戸端会議 水質調査
夕方になると、井戸の周りは「井戸端会議」さながら社交場に変わる。
日本の古き良き時代を見るようでほほえましく感じた。
良い井戸水とも出会う事ができた。
その井戸は沼地の近くにあり水量も豊富である。


子供達も水汲みのお手伝い 人気の井戸
水質の良い水は人気があり多くの人達がその井戸水を汲みに来ていた。
井戸水も無限に湧き出るわけではないので決められた時間に
(夕方)天秤棒で水桶をかついで水を汲みに来ていた。


井戸端会議 水質調査
夕方になると、井戸の周りは「井戸端会議」さながら社交場に変わる。
日本の古き良き時代を見るようでほほえましく感じた。
2013年07月21日
小島博士との思い出(水質調査)
1994年、水質調査のために初めてミャンマーを訪問時、
水道の普及率を尋ねたら「40%」と聞いた。
そんなに普及しているのかと奇異に感じていたが、
調査を重ねるに従いその事情が分かってきた。

各地にあるポンプステーション 水汲み場
河川水や湖沼水をポンプでくみ上げ、地方にある“水汲み場”まで送水し、
決まった時間になると水汲み場まで水を汲みに来るという仕組みだ。
水汲み場が住まいの近くにある地域では天秤棒で水桶をかついだり、
ドラム缶製の水車などで水を汲みに来る。

ドラム缶製の水車 牛車を使った水汲み風景
しかし、自宅から遠い地域は“牛車”等を使い、水を汲みに来る。
「水汲み」と言う仕事は地方に住む人たちにとって
は1日のうちでも重要な仕事の一つになっている。
水道の普及率を尋ねたら「40%」と聞いた。
そんなに普及しているのかと奇異に感じていたが、
調査を重ねるに従いその事情が分かってきた。


各地にあるポンプステーション 水汲み場
河川水や湖沼水をポンプでくみ上げ、地方にある“水汲み場”まで送水し、
決まった時間になると水汲み場まで水を汲みに来るという仕組みだ。
水汲み場が住まいの近くにある地域では天秤棒で水桶をかついだり、
ドラム缶製の水車などで水を汲みに来る。


ドラム缶製の水車 牛車を使った水汲み風景
しかし、自宅から遠い地域は“牛車”等を使い、水を汲みに来る。
「水汲み」と言う仕事は地方に住む人たちにとって
は1日のうちでも重要な仕事の一つになっている。
2013年07月20日
小島博士との思い出(水質調査)
ヤンゴンから最終目的地であるメティラまで600kmの
行程でミャンマー国内の水質調査を開始した。
イラワジ河の河川水や湖沼水、地下水など

イラワジ河から取水 ポンプで送水
20数か所の水質を調査した。
現地の人達は地下水の利用を好んだが、小島博士は
地下水より河川水や湖沼水の利用を勧められた。
その大きな理由は、地下水は水量・水質共に
掘ってみないと解らないということと、河川、湖沼とも

地方都市の水道施設について説明 配管設備についての説明
にろ過することで飲料水として適しているとのことだった。
調査の中でもミャンマーの地下水は硬度が高く
飲料不可の地下水が多かった。
行程でミャンマー国内の水質調査を開始した。
イラワジ河の河川水や湖沼水、地下水など


イラワジ河から取水 ポンプで送水
20数か所の水質を調査した。
現地の人達は地下水の利用を好んだが、小島博士は
地下水より河川水や湖沼水の利用を勧められた。
その大きな理由は、地下水は水量・水質共に
掘ってみないと解らないということと、河川、湖沼とも


地方都市の水道施設について説明 配管設備についての説明
にろ過することで飲料水として適しているとのことだった。
調査の中でもミャンマーの地下水は硬度が高く
飲料不可の地下水が多かった。
2013年07月19日
小島博士との思い出(水質調査)
1994年5月小島博士に同行頂きミャンマーの水質調査に出かけた。
ミャンマーは初めての訪問で当時の首都であった
ヤンゴンの水質調査から始めた。

市内まで伸びる水道管
ヤンゴン市内の水源は3つの大きな湖を水源とし
露出した直径1メートル近くの鉄管で送水されていた。
十分なろ過装置は無く沈殿しただけの水が給水されていた。

ろ過設備の無い浄水場
ミャンマーは水道設備では世界の先駆け的な国であるイギリスに
200年近く統治下にあったにも拘らず、ろ過システムが
完備されていないことに小島博士は驚いておられた。
ミャンマーは初めての訪問で当時の首都であった
ヤンゴンの水質調査から始めた。

市内まで伸びる水道管
ヤンゴン市内の水源は3つの大きな湖を水源とし
露出した直径1メートル近くの鉄管で送水されていた。
十分なろ過装置は無く沈殿しただけの水が給水されていた。

ろ過設備の無い浄水場
ミャンマーは水道設備では世界の先駆け的な国であるイギリスに
200年近く統治下にあったにも拘らず、ろ過システムが
完備されていないことに小島博士は驚いておられた。
2013年07月18日
小島博士との思い出(初対面)
「MISの会」に対し大変ご尽力いただいた小島博士が昨年95歳で
天寿を全うされたことを後日知ることになった。

小島博士と私 ミャンマーの日本大使館を訪問
謹んで博士のご冥福をお祈りします。先生との出会いは1993年2月であった。
当時、佐賀大学のN教授の紹介で訪問したのが最初の出会いである。
小島博士は当時「日水コン中央研究所」の所長をしておられた。
「ミャンマーへ浄水機を贈る運動を検討しているのでご指導を

政府の水道部を訪問 WHOミャンマー支部を訪問
お願いしたい」旨を伝えたところ快く引き受けて頂いた。
博士は常に現場主義のお考えをお持ちの方でミャンマーへの
水質調査にも快く引き受けて頂いた事は何よりも心強かった。
天寿を全うされたことを後日知ることになった。


小島博士と私 ミャンマーの日本大使館を訪問
謹んで博士のご冥福をお祈りします。先生との出会いは1993年2月であった。
当時、佐賀大学のN教授の紹介で訪問したのが最初の出会いである。
小島博士は当時「日水コン中央研究所」の所長をしておられた。
「ミャンマーへ浄水機を贈る運動を検討しているのでご指導を


政府の水道部を訪問 WHOミャンマー支部を訪問
お願いしたい」旨を伝えたところ快く引き受けて頂いた。
博士は常に現場主義のお考えをお持ちの方でミャンマーへの
水質調査にも快く引き受けて頂いた事は何よりも心強かった。
2013年07月17日
ミャンマーンの水祭り(お正月)
里子からの手紙の中に夏休みの思い出を書いてもらうコーナーがあった。
その中に水祭りの思い出を書いてくれた子供たちが多かったが、
ミャンマーでは4月中旬(年により異なる)に行われる一大行事である。

水祭り-1 水祭り-2
1年間の汚れたものを洗い流し新鮮な気持ちで新年(元旦も年により異なる)
を迎えるという意味もあるそうだ。
人はもとより走行中の車にも容赦なく水をかける。

ドアーをはずした車も 運転席へホースで水かけ
運転席までもホースで水をかける。
ステージが作られ水をかけあったり、ごちそうを振舞う風景も見られる。
新年を迎えるためのこの水かけ祭りはパガン時代からの伝統行事のようだ。
その中に水祭りの思い出を書いてくれた子供たちが多かったが、
ミャンマーでは4月中旬(年により異なる)に行われる一大行事である。


水祭り-1 水祭り-2
1年間の汚れたものを洗い流し新鮮な気持ちで新年(元旦も年により異なる)
を迎えるという意味もあるそうだ。
人はもとより走行中の車にも容赦なく水をかける。


ドアーをはずした車も 運転席へホースで水かけ
運転席までもホースで水をかける。
ステージが作られ水をかけあったり、ごちそうを振舞う風景も見られる。
新年を迎えるためのこの水かけ祭りはパガン時代からの伝統行事のようだ。
2013年07月16日
ミャンマーンに浄水機のチェック
ミャンマーの浄水機1号機を設置したのが1996年である。
その後2号機3号機をミャンマーのメティラ市内に設置した。
設置直後は毎年のように浄水機のメンテナンスに訪緬(ミャンマー訪問)していた。

水質検査 溶存酸素量も十分である
その後、順調に管理運営されていることが確認できてからは2~3年に
一度の割で訪緬の都度、水質の検査や利用状況を確認している。
今年も4月に訪問した時も数人の人達が水を汲みに来ていた。

1号機の利用状況 大勢の人が汲みに来ている
17年も経過した今でも利用されていることに驚くと共に、この浄水機を
設計、指導して頂いた元「日水コン中央研究所所長」の小島博士の
素晴らしい技術力に対し感嘆の想いとともに感謝の念でいっぱいである。
その後2号機3号機をミャンマーのメティラ市内に設置した。
設置直後は毎年のように浄水機のメンテナンスに訪緬(ミャンマー訪問)していた。


水質検査 溶存酸素量も十分である
その後、順調に管理運営されていることが確認できてからは2~3年に
一度の割で訪緬の都度、水質の検査や利用状況を確認している。
今年も4月に訪問した時も数人の人達が水を汲みに来ていた。


1号機の利用状況 大勢の人が汲みに来ている
17年も経過した今でも利用されていることに驚くと共に、この浄水機を
設計、指導して頂いた元「日水コン中央研究所所長」の小島博士の
素晴らしい技術力に対し感嘆の想いとともに感謝の念でいっぱいである。