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Posted by さがファンブログ事務局  at 

2013年09月24日

サイクロン孤児たちの成長記録

テッ アウン カイン はサイクロンで母親と兄弟4人を亡くしました。

父親と生後12日目の弟と3人が生き残りました。


  7歳の時に送ってくれた手紙

弟の面倒を見るために学校を休むこともありますが、

頭がよく勉強もできる子だと先生が言っていました。



今では体も大きくなり、話もできるようになりました。  


Posted by 古賀 等  at 20:00Comments(0)里親制度

2013年09月18日

サイクロン孤児たちの成長記録

セイン タウン はサイクロンで父親を亡くしました。

彼の夢は警察官になることです。


10歳の時に送ってくれた手紙には警察官の絵が・・・

兄が日雇いで漁業の仕事をして

いますが、ほとんど仕事がない

時期もあるようです。



体も大きくなってきました。  


Posted by 古賀 等  at 20:00Comments(0)里親制度

2013年09月13日

サイクロン孤児たちの成長記録

カウン カン ピョーはサイクロンでは

母親と兄を亡くしました。


  7歳のころのカウン・カン・ピョー

日本語で「ありがとうございますと

お辞儀をしながら挨拶をしてくれます。



今はお父さんと別れて、おじさんの家に住んでいます。

おとなしい子です。

自分が困っていることは何でも

相談できるようになりました。  


Posted by 古賀 等  at 20:00Comments(0)里親制度

2013年08月31日

サイクロン孤児たちの成長記録

ピョー ミン カンは被災当時は

まだ5歳の子供でした。


     6歳の時に送ってくれた手紙

サイクロンで祖父と母と兄を亡くしました。


           ピョー ミン カン

恥ずかしがりやですが最近は少し

話しかけてくるようになりました。

  


Posted by 古賀 等  at 11:16Comments(0)里親制度

2013年08月22日

サイクロン孤児たちの成長記録

モー・ピイ・ピイ・ゾーはサイクロンで母と妹を亡くしました。


        2009年時はまだ5歳だった  

現在は、祖父や叔母たちと一緒に生活しています。


   モー・ピイ・ピイ・ゾーは活発な女の子に成長

2009年6月から小学校に通っています。

叔母たちがヤシの実の皮を編んで収入を得ています。  


Posted by 古賀 等  at 20:00Comments(0)里親制度

2013年08月15日

サイクロン孤児たちの成長記録

ミャッツ・サンダ-・ミョーはサイクロンで

両親と兄弟を亡くしました。


 サイクロンの翌年絵を書いて送ってくれた


     ミャッ・サンダ-・ミョー

今は祖父母と叔母と一緒に暮らしています。

現在は兄が祖父と一緒に農業を

してわずかの収入を得ています。  


Posted by 古賀 等  at 20:00Comments(0)里親制度

2013年08月08日

サイクロン孤児たちの成長情報が届く

サイクロンの被災孤児達の成長記録が届くのは楽しみである。

2008年5月にミャンマー南部のデルタ地帯を襲ったサイクロン

「ナルギス」のよって10数万人の犠牲者が出た。

これだけ多くの犠牲者が出たのはイラワジ河口付近のデルタ地帯に

4メートル近くの高波が押し寄せたことによるものである。


        サイクロン“ナルギス”便り


日本の東日本大震災の大津波による被害と重なる。

このサイクロンによって親兄弟を亡くした孤児の支援をさせて頂いている。

その年に生まれた孤児も5歳になる。

この便りは現地スタッフが編集して送ってくれるものである。  


Posted by 古賀 等  at 20:00Comments(0)里親制度

2013年07月31日

小島博士との思い出(弔問)

2012年に小島博士から頂いた年賀状に

「これが最後の便りになるかも・・・94歳」と添え書きされていた。

その3か月後に亡くなられたという事を半年後に知った。


            観音様 

墓前にお参りをしたいと思っていたがその思いがようやく叶った。

7月19日、東京八王子市のご自宅を訪問させて頂きお参りをさせて頂いた。

先生との20年間の思い出がよみがえった。

先生は誰とでも親しく接して頂いた。

 
    博士の菩提寺      ご子息と墓前にて

こと水の話になると我々素人にも解り易く説明して頂いた。

たくさんの思い出をありがとうございます。

小島貞男博士のご冥福をお祈りします(合掌)。  


Posted by 古賀 等  at 20:00Comments(0)活動報告

2013年07月30日

小島博士との思い出(再度ミャンマー訪問)

浄水機1号機は1996年にミャンマーのメティラ市に設置した。

この浄水機は18年経過した今もなお稼動している。

2001年に訪問した折にメティラのホテルでこの


  ホテルの従業員と水  

浄水機の水が利用されていた。

その冷水器の上には説明文が書かれていた。


    冷水器と説明文

文面は「のみもののおみずは日本人の

ともだちのおくりものです」
と書かれていた。

この冷水器と説明文を見つけられた小島博士が

ことのほか感激されたのを思い出す。  


Posted by 古賀 等  at 20:00Comments(0)活動報告

2013年07月29日

小島博士との思い出(再度ミャンマー訪問)

2001年小島博士をお誘いし、再度ミャンマーを訪問した。

先生は当時、お歳は85歳だった。「ミャンマーへ来るのは

今回が最後だろう」とおっしゃった。

 
   修行僧と        浄水器1号機前にて

この言葉には少しさみしい感じがした。

しかし我が身に振り返ってみると80歳過ぎてから

の海外旅行など到底無理だと思った。

 
        水質の検査をされる博士


先生は何時も歩く事には人一倍努力しておられた。

出勤時も最寄りの駅まで歩いていると仰っておられた。

旅の間、若い者と変わらない速度で歩かれたことを思い出す。  


Posted by 古賀 等  at 16:15Comments(0)活動報告